こんにちは
望月俊孝です。
本日は【神々が見ている】を投稿しました。
「紀元前440年頃、 ギリシャの彫刻家フェイディアスは、
アテネのパンテオンの屋根に建つ彫像群を完成させた。
だがフェイディアスの請求書に対し、アテネの会計官は支払いを拒んだ
『彫像の背中は見えない。 見えない部分まで彫って請求してくるとは何事か』と。
それに対し、フェイディアスは答えた。
『そんなことはない。神々が見ている』」 (『仕事の哲学』ドラッカー名言集)
神々が私たちの一挙手一投足を見ているかどうか?
それは文字通り神のみぞ知る、ですね。
ただ私たちの中にある神の部分、 『私たちの中の良心の部分』は少なくとも知っていますね。
どれだけエネルギーを注いだのか?
どれだけ考え抜き、工夫を重ねたものか?
良心に恥じない行為か否か?
長い目でみると、 注いだエネルギーが無駄になることはない、 そう信じたいものです。
個人的には、人生、逆風の時もありますね。
没頭し、精一杯力を出し切った。
しかし、残念ながら周囲には評価されなかった。
理解もされなかった。
それでも、全力を尽くしたという 清清しい満足感と自分や仕事に対する誇りは
心の中に蓄積されていきますね。
そしてノウハウや技術も蓄積されていきますね。
それが積もり積もって必要なことをしていれば 必ず実を結ぶ時がくるのだと思います。
しかし、その前に自分自身を見限って、 諦めてしまうことも多々ありますね
(もちろん、見当外れなことにエネルギーを 注いでも結果が出るわけではありません。
創ること・伝えること・奉仕することなどを 高いレベルでバランスを取る必要がありますね)
逆に順風(追い風)の時、とっても調子の良い時は、
その流れにうまく乗っていくことと同時に 周りに喜びや感動・感謝などを
分かち合っていくことが 大事なのでしょうね。
さて、「今日もよくやったな」って やすらぎのうちに
仕事や学習や目の前に取り組んでいることを 終えることができたでしょうか?
私の場合、自分に甘いので、 おおよそ「よくやったな」と言ってしまうのですが、
「まだまだ」という声が時に聞こえてきます。
そんな時は、 「あと一歩だけ○○しよう」と5分程度、
没頭して何かに勤しむか、
「昨日よりは○○の部分だけは少しは進歩したね」と思えれば、
「それでよし」と心地よい休みに就くようにしています。
望月 俊孝
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